地震
2011年 03月 17日
一昨晩から、冷たい雪が降り続いています。
朝晩は氷点下。被災地の方々が心配です。
私の住んでいる地域も、燃料不足が深刻です。
ガソリンスタンドは日曜日から全ての店舗で休業しています。
(幸い、2日間の完全停電があったものの、現在はライフラインは正常です)
交通が寸断されている為、物流もストップしています。
食料品も徐々にお店から姿を消しています。
ですが、家と毛布があるのだから十分幸せです。
大学では、節電と燃料節約の為暖房は切られています。
電気もあまり付けていません。
ダウンコートを着て仕事しています。
でも、それでも十分だと感じます。
私が今居る場所から、ほんの少し車で走った場所は津波で流されています・・・
いつも普通に買い物に出かけていた場所がめちゃくちゃになっています。
ドライブで良く訪れていた気仙沼や松島の海岸が消えてしまいました。
*****************************
東北関東大震災が起きる2日前。
3月9日にも東北地方では震度5弱の大きな地震がありました。
この時の、普通ではない地震に何か不安を覚えました。
その後に、地学に詳しい知人と
”こういう地震の後に、デッカイのが来るよね・・・卒業式の日(3/11)に来たら嫌だな”
などと話していました。
そして、3月11日。
卒業式後の謝恩会会場で地震。
最初の揺れを感じた時に、すぐにこれはヤバイと感じました。
約25年前、小学生の時に体験した大地震の感覚がよぎりました。
すぐに天井を見て、落下の危険がありそうな照明などを確認すると共に
学生にテーブルの下へ避難するように指示。
若干の揺れが収まった時に、会場職員の指示に従って外へ避難。
その間も、ずっと揺れていて、まっすぐに歩ける状態ではありませんでした。
びっくりしてパニックになる学生や、その場にヘタリ込む子も居ました。
とにかく自分の研究室の学生を全員確認し、私が一番後から避難するようにしました。
・・・・というのが当然の教員の行動だと思うのですが・・・・
我先にと学生を押しのけて避難しようとする先生の多い事、多い事。。。。(-"-)
おっと、話が脱線しました。。。
駐車場に避難してからも強い余震が続きます。
立っているのがやっとな程、揺さぶられる。
謝恩会の為に、ドレスアップしていた女子学生達は
寒さと恐怖で変なテンションになっていました。
余震が起きるたびに、さっきまでいた謝恩会場の中から
”ドスン!””ガシャーン”
と、タダならぬ音が聞こえてきます。
避難していなかったら・・・・・ゾッとします。
直ぐに停電し、更には携帯が繋がらなくなったため、状況がまったく分からず。
ただ、ものすごい規模の地震が起きた事だけは理解できました。
断片的に、”宮古で10メートルの津波””大船渡がやばいらしい”などと聞こえてきましたが
実際には何の状況も掴めぬまま、まずは帰宅しスーツからジーパンへ。
帰宅時、カシスもマロンもクローゼットに籠っていました。
私が声をかけると安心したようにカシスが出てきて、私にべったり。
しかしマロンはブルブルと震えて、出て来れませんでした。
暫く、抱っこしてなでてあげると落ち着いたようでした。
まだ余震が続く中、大学が心配なので、マロンの事はカシスに任せて
直ぐに大学へ向かいました。
(懐中電灯やら何やら緊急グッズを持参して)
研究室はメチャクチャでしたが、、、それでも思っていたよりはマシでした。
虫の知らせか、数日前から完全に実験はストップしており、
更には大掃除も済ませていたり・・・だから被害は最小限でした。
大掃除前だったら、いろんなものが降ってきていたはずです。
余震が酷いので、最低限の片づけだけを行い、その後研究室で待機しました。
一人暮らしの学生さんが多いので、大学を避難所(寄り合い所?)として開放していました。
昼間はまだ良かったのですが、次第に日が暮れると
電気のつかない研究室は驚くほどに真っ暗。
学生さんと一緒に居たから良かったですが、私一人では耐えられなかったと思います。
そして、携帯のワンセグで、津波の映像を見て絶句。
小さな画面の映像からでも、ことの重大さは理解できました。
丸2日、停電していましたが、その後は回復。
燃料がないという事以外は、とりあえず通常の生活に戻りました。
繋がらなかった携帯もようやく繋がり、多方面へ安否確認。
沢山の皆様から、ご連絡頂きありがとうございました。
実家のある千葉や元職場のある茨城もそうとう揺れたとの事だったので
心配でたまりませんでしたが、とりあえず皆無事だったので安心しました。
電気が開通した後、自宅に戻りテレビを見ると・・・・
携帯の何倍もの大きな画面で見る津波の映像に涙と震えが止まりませんでした。
*******************************
地震から6日目。
まだ余震は続いています。
今日は今までにない縦揺れを伴う余震(?)もあり、びっくりしました。
福島の原発も心配です。
命懸けで作業されている方々を思うと、いたたまれない気持ちになります。
そして、この寒さ。
電気も燃料も食料もなく、被災地で、がれきの中で耐えている人が沢山いる。
都心部の買い占めパニックや、計画停電への無理解が非常に腹立たしいです。
*********************************
みんながみんな悲しい顔をする必要はないと思う。
元気な人は元気な人の出来る事をしなくちゃ。
募金と献血と節電、、、、まずはそれくらいは直ぐに出来る。
そして、今の環境に感謝してシッカリ生きること。
神戸の街が見事に復興したように、
三陸の美しいリアス式海岸がまた見れる日が来ると信じています。
朝晩は氷点下。被災地の方々が心配です。
私の住んでいる地域も、燃料不足が深刻です。
ガソリンスタンドは日曜日から全ての店舗で休業しています。
(幸い、2日間の完全停電があったものの、現在はライフラインは正常です)
交通が寸断されている為、物流もストップしています。
食料品も徐々にお店から姿を消しています。
ですが、家と毛布があるのだから十分幸せです。
大学では、節電と燃料節約の為暖房は切られています。
電気もあまり付けていません。
ダウンコートを着て仕事しています。
でも、それでも十分だと感じます。
私が今居る場所から、ほんの少し車で走った場所は津波で流されています・・・
いつも普通に買い物に出かけていた場所がめちゃくちゃになっています。
ドライブで良く訪れていた気仙沼や松島の海岸が消えてしまいました。
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東北関東大震災が起きる2日前。
3月9日にも東北地方では震度5弱の大きな地震がありました。
この時の、普通ではない地震に何か不安を覚えました。
その後に、地学に詳しい知人と
”こういう地震の後に、デッカイのが来るよね・・・卒業式の日(3/11)に来たら嫌だな”
などと話していました。
そして、3月11日。
卒業式後の謝恩会会場で地震。
最初の揺れを感じた時に、すぐにこれはヤバイと感じました。
約25年前、小学生の時に体験した大地震の感覚がよぎりました。
すぐに天井を見て、落下の危険がありそうな照明などを確認すると共に
学生にテーブルの下へ避難するように指示。
若干の揺れが収まった時に、会場職員の指示に従って外へ避難。
その間も、ずっと揺れていて、まっすぐに歩ける状態ではありませんでした。
びっくりしてパニックになる学生や、その場にヘタリ込む子も居ました。
とにかく自分の研究室の学生を全員確認し、私が一番後から避難するようにしました。
・・・・というのが当然の教員の行動だと思うのですが・・・・
我先にと学生を押しのけて避難しようとする先生の多い事、多い事。。。。(-"-)
おっと、話が脱線しました。。。
駐車場に避難してからも強い余震が続きます。
立っているのがやっとな程、揺さぶられる。
謝恩会の為に、ドレスアップしていた女子学生達は
寒さと恐怖で変なテンションになっていました。
余震が起きるたびに、さっきまでいた謝恩会場の中から
”ドスン!””ガシャーン”
と、タダならぬ音が聞こえてきます。
避難していなかったら・・・・・ゾッとします。
直ぐに停電し、更には携帯が繋がらなくなったため、状況がまったく分からず。
ただ、ものすごい規模の地震が起きた事だけは理解できました。
断片的に、”宮古で10メートルの津波””大船渡がやばいらしい”などと聞こえてきましたが
実際には何の状況も掴めぬまま、まずは帰宅しスーツからジーパンへ。
帰宅時、カシスもマロンもクローゼットに籠っていました。
私が声をかけると安心したようにカシスが出てきて、私にべったり。
しかしマロンはブルブルと震えて、出て来れませんでした。
暫く、抱っこしてなでてあげると落ち着いたようでした。
まだ余震が続く中、大学が心配なので、マロンの事はカシスに任せて
直ぐに大学へ向かいました。
(懐中電灯やら何やら緊急グッズを持参して)
研究室はメチャクチャでしたが、、、それでも思っていたよりはマシでした。
虫の知らせか、数日前から完全に実験はストップしており、
更には大掃除も済ませていたり・・・だから被害は最小限でした。
大掃除前だったら、いろんなものが降ってきていたはずです。
余震が酷いので、最低限の片づけだけを行い、その後研究室で待機しました。
一人暮らしの学生さんが多いので、大学を避難所(寄り合い所?)として開放していました。
昼間はまだ良かったのですが、次第に日が暮れると
電気のつかない研究室は驚くほどに真っ暗。
学生さんと一緒に居たから良かったですが、私一人では耐えられなかったと思います。
そして、携帯のワンセグで、津波の映像を見て絶句。
小さな画面の映像からでも、ことの重大さは理解できました。
丸2日、停電していましたが、その後は回復。
燃料がないという事以外は、とりあえず通常の生活に戻りました。
繋がらなかった携帯もようやく繋がり、多方面へ安否確認。
沢山の皆様から、ご連絡頂きありがとうございました。
実家のある千葉や元職場のある茨城もそうとう揺れたとの事だったので
心配でたまりませんでしたが、とりあえず皆無事だったので安心しました。
電気が開通した後、自宅に戻りテレビを見ると・・・・
携帯の何倍もの大きな画面で見る津波の映像に涙と震えが止まりませんでした。
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地震から6日目。
まだ余震は続いています。
今日は今までにない縦揺れを伴う余震(?)もあり、びっくりしました。
福島の原発も心配です。
命懸けで作業されている方々を思うと、いたたまれない気持ちになります。
そして、この寒さ。
電気も燃料も食料もなく、被災地で、がれきの中で耐えている人が沢山いる。
都心部の買い占めパニックや、計画停電への無理解が非常に腹立たしいです。
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みんながみんな悲しい顔をする必要はないと思う。
元気な人は元気な人の出来る事をしなくちゃ。
募金と献血と節電、、、、まずはそれくらいは直ぐに出来る。
そして、今の環境に感謝してシッカリ生きること。
神戸の街が見事に復興したように、
三陸の美しいリアス式海岸がまた見れる日が来ると信じています。
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by tenshinoringo
| 2011-03-17 18:33
| 研究&人を育てること
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